「シミュレーション仮説は否定できない」という定説を論破してみた【徹底考察】

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どうも!うたまるです。

こんかいは科学の世界では定番となりつつあるシミュレーション仮説について徹底考察し、その間違いを明らかにします。
この記事は他では聞けないここだけの解答を提供します。

今回の分析は日本を代表する現象学者の竹田青嗣の本、『新・哲学入門』を参考にしています。この本は哲学書の名著でもあるので興味のある人は是非!

この記事で分かること
  • シミュレーション仮説について
  • シミュレーション仮説が論理的に間違っていること
  • 人間の意識は原理的にシミュレートできないということ
  • 客観的な世界が存在していないこと
  • ラプラスの悪魔の間違い
  • 自然科学ができることとできないことのライン

シミュレーション仮説とは

シミュレーション仮説とは、この世界が計算機(コンピュータ)のシミュレーションだという仮説。

つまりこの宇宙はぼくたち人間ではない知的存在がつくった計算機によるシミュレーションという仮説。

この世界がシミュレーションである根拠としていわれるのは、知的生命が世界をシミュレーションした場合、シミュレーションの中の知的生命もまたシミュレーションをする可能性が高いという考えです。

するとシミュレーションが技術的に可能だという前提に立った場合、この宇宙がシミュレーションである確率は非常に高くなりますなぜなら一つしか無い本物の宇宙にたいして、シミュレーションの中のシミュレーションの中の、、、とループしシミュレーション世界の数は増殖してゆくからです。

シミュレーション仮説で重要なのは、シミュレーション世界は映画マトリックスのような仮想現実とは違うこと。マトリックスの場合は人間の実物の脳(意識)が仮想現実に神経接続されます。

たいするシミュレーション仮説は、人間の意識そのものが計算機によってシミュレーション(計算)されています。この違いはシミュレーションの不可能性を語るうえで決定的に重要です。

シミュレーション仮説の主な否定

一般的なシミュレーション仮説への反論として情報の処理能力の問題が指摘されます。
膨大な量子の集積と運動によってなりたつこの宇宙を計算によってシミュレートするためには、この宇宙の全ての量子をつかっても不可能でシミュレートできないという反論。

しかしこの反論は有効な反論とはいえません。

なぜならシミュレーターが、ぼくたち人間の周辺や人間が観測する場所だけをロードするようなプログラムになっている可能性があるからです。

シミュレーション仮説とクオリア

シミュレーション仮説には明確な限界があります。

このことは脳科学でクオリアが説明できないことに通じます。

※クオリアについての詳しい説明はこちらの記事、最新の研究で読み解く不老不死の実現する可能性を解説!

クオリアというのは簡単にいうと人間の感情や情動、欲望などのこと。クオリアはまったく脳科学(自然科学)では説明する手段がありません。
感情は主観的な感覚であり、自然科学は主観を扱えないからです。

ラプラスの悪魔とシミュレーション不可能性

そもそもシミュレーションとは何かから考えてゆきましょう。
シミュレーションとは世界を客観的に定量化し、計算機で世界を構成する物質の物理的、空間的な挙動を数学的に計算することで世界の動きを数学的に表現・再現することです。

よってシミュレーションが成立するためには世界を客観的(数学的)に記述する必要があります。

これに関連して歴史的な観点から現代のシミュレーション仮説の成り立ちを考えます。

まずニュートン力学の発見を契機に世界は物質の数学的記述に還元できるという世界観が生じ、そのことで世界は数学的にシミュレーション可能だという考えが出てきたといえそうです。

じじつ有名なラプラスの悪魔」の考えもニュートン力学の発展にともない提出されました。

ニュートンは17世紀末から18世紀に活躍した人物でありラプラスは18世紀の数学者。そのためニュートン力学がその後のラプラスの悪魔に関連していることは明らかです。

周知の通り、ラプラスの悪魔とはこの世界の全ての素粒子の位置と運動量が分かれば、あらゆる未来をシミュレーション(計算)によって予測できるという推論。

ラプラスの魔の考えこそが今のシミュレーション仮説の起源になっていることは明白です。

ところで量子力学が好きな人だと、量子には不確定性原理があるから予測は確率でしかなりたたない、だからラプラスの魔は間違いだ!と思う方がいるかと思います。

しかし、量子の不確定性以前の問題でラプラスの悪魔の未来予測は成立しません。なぜなら量子の物理的挙動をいくら計算してもクオリア(意識)はシミュレーションされないからです。

シミュレーション仮説を論破!

ここではクオリア(感情、意識)が計算(シミュレーション)できないことを論証しシミュレーション仮説が間違っていることを明らかにします。

まずクオリアは客観的に記述することができまぜん。したがってクオリア(意識、感情)は客観的に定量化(数値化)することができません

数値化できないということは計算もできません。

以下に具体的にクオリアが計算できないことを確かめます。

たとえば怒りがわいたとします。この怒りというクオリアを客観的に記述する手段は存在しません。ぼくたちはただ言語にたよって「怒り」と表現するしかない。あるいは現象学的な記述は可能ですが、現象学も言語的な記述に過ぎません。

あたりまえですが、言語はぼくたちの怒りといったクオリア自体を直接に表現することはできません。あいまいな主観的感覚を怒りと名付けているだけなので、それがなんなのか言語のみによって表現することはできないのです。

つまり、怒りという感情(クオリア)を持っていない人に、いくら言葉で説明しても怒りそのもを理解させることはできないということ。

以上のことからクオリア(感情)というのは、客観的な記述や数値化はおろか、まともにそれを表現することすら不可能。

たしかに怒ったときに血圧を測定したり脳活動やホルモン分泌の量を計測することはできるでしょう。しかしこのような物質の測定は意識(クオリア、怒り)そのものを記述することとはまったく関係がありません。

意識を意識自体として客観的に測定できなくてはシミュレーションできませんが、意識はそもそも空間的に実在するような物質ではないのでメジャーで長さを測ったり重量計で重さを測定するということは不可能

よって客観的な脳という物質(客体)とクオリア(主観)はまったく存在としての次元が違います。クオリアはいうなれば対象を対象化する作用(主観)であり、空間的に存在する物質(対象)ではないのです。

脳は空間を占める客観的な物体であり、空間は数学的な座標によって表現可能なため、その活動(動き)は科学的(数学的)に記述できます。

しかしクオリア(意識)は客観的な物体ではないので原理的に測定不能つまり感情などの主観という物理的(空間的)に存在しないものは科学的な測定、数値化のしようがないのです。

これでは脳という物体の物理的な運動と、感情などの主観(クオリア)の変化との因果的な対応関係を数学的に記述することはできません。

たしかにアミノ酸などの物質の複雑な組み合わせによって脳が構成され、その脳の電気信号が意識を生成しているのは事実でしょう。
しかし、意識(クオリア、感情)は脳という物質の数学的記述と対応させることが原理的にできない
わけです。

ここで話をまとめると、シミュレーションの条件はシミュレーション対象の客観的な数学的記述とその挙動を法則化した物理学的な数式があることです。

そのため脳やそれを構成する量子の物理的な挙動は物理学の数式をつかうことでシミュレートできる可能性があります

しかし意識、クオリアは数値化できないので計算ができません。もしシミュレートするなら、量子の運動方程式と意識(クオリア、主観)の運動(変化)との対応を因果的に示す数式が必要になりますが、そんなものは原理的に存在しないということです。


さらにいえば、そもそもシミュレーターではクオリア(感情、主観)を表示、表現することも不可能です。
主観でしかないクオリアをどのように計算機で表現するのか謎です。そんなことはやりようがありません。

たとえばプログラミングによってパソコンで交通事故をシミュレーションする場合。そこでは自動車の質量や運動量の数値が入力されることで物理学の数式によって事故の動きが計算され、その計算結果がポリゴン映像としてモニターに表示されます。

人はこの映像を見て交通事故がシミュレーションできたと感じる訳ですが、ポリゴン映像は絵、あるいは動画(絵の束)でしかありません。たんに計算結果に対応してモニターの発光ダイオードが規則的に明滅してるに過ぎず、その映像(シミュレーション)には中が存在しません。

したがって原始人が絵を見ると、絵に中があって絵の世界に入れると考えるのと、シミュレーション仮説を盲信する人の発想は同じレベルです。

シミュレーションは世界を数字という記号によって表示、表現する技法であり、世界の絵を描いているだけ。

そのためシミュレーションは対象(オブジェクト)の絵を描き画面などに表示することはできても、その対象をリアルな対象として感じるところの主観(サブジェクト、リアリティ)を作り出すことは原理的にできないわけです。

ゆえに人間がダンベルをもって感じる重さ自体とか、赤いバラをみて感じる鮮やかな赤色の感覚自体だとかは表現も表示もしようがありません。これらは計算で作り出すことはできません。数式をいくら計算しても重さというクオリア自体には到達しません。

したがって生命の意識そのものがシミュレーションであるというシミュレーション仮説は間違いです

繰り返しますが
シミュレーションは世界を数学的に記述し物質世界の物理的な運動を数値という記号によって描いているだけ。
その意味でシミュレーションは絵に過ぎず、絵や写真に中身がないようにシミュレーションにも中身(主観・クオリア)は存在しません。

ただの数式とその計算から意識が生じると考えるシミュレーション仮説の荒唐無稽な発想はオカルトでしかないです。

シミュレーションできないことが意味すること

じつは意識がシュミレーションできないということは一つの衝撃的な事実を論証することにつながります。

つまり完璧な量子物理学の運動方程式によって量子ひとつひとつの挙動から正確に一人の人間をシミュレートしても、シミュレートされた人間には意識(ゴースト)は宿りません

つまり生命をシミュレーションしても死体がシミュレートされてしまうということ。

ぼくたちはどんなに完璧な物理学の方程式をつかって演算しても生命をシミュレートすることができないのです。

このことは客観が存在しないという事実を示しています。
というのも意識は脳という物質で構成されているわけですが、脳という物質の物理的運動をいくら正確にシミュレートしても意識が宿らない。すると生命体をシミュレートした時点で物質の動きのシミュレートも不可能になってしまうからです。

意識は体という物質を動かすので、その意味で意識は客観的な物体の物理的な動きに影響を与えます。
そのため生命をシミュレートすると生命の身体や脳神経といった物質の挙動も計算とズレてしまいシミュレーションが成立しないわけです。

このことは客観的なものが意識と独立して存在しているわけではないことを示します。
つまりぼくたちの世界には自然科学(数学)では記述不可能な絶対的ブラックボックスが存在しており、そのブラックボックスこそが、ぼくらの主観(クオリア)であるということです。

科学の絶対的な限界点として生命の意識(クオリア)はあります

※客観のなさについて詳しくはこちらの記事「幽霊は存在するのかについて」に書いてあります。

実現可能なこと

最後にどこまでなら科学が実現できるかについて考察。

まず外的な知覚情報をシミュレーションして脳に送ることは可能。なぜなら赤いという色であれば、赤色の波長は測定できますし、赤色を見たときに網膜から脳へと送られる電気信号も測定できるはずだからです。

したがってマトリックスのようなフルダイブ型のバーチャル世界ならば、科学の発展で実現させることが可能

脳という物質的器官そのものをシミュレートしても、意識はシミュレートされません。しかし意識を生じる脳があるのなら、その脳の外的知覚を電気信号によってコントロールすることは難しくないでしょう。

このことと意識そのものをシミュレーションすることをごっちゃにしてはいけません。両者はまったく技術的には無関係です。

ぼくの過去にかいた記事で不老不死の実現性に触れましたが、やはり機械に意識を移植するマインドアップローディングというのは現状ではできないことが分かります。

まとめ

  • シミュレーション仮説とはこの世界が計算機のシミュレートという仮説
  • この仮説は一般には計算能力の限界から否定されるがこの否定は不完全
  • 意識におけるクオリアは感情である
  • クオリアは原理的に計測も計算もできない
  • クオリアと脳は存在論的な階層が異なる
  • クオリアは脳と次元が異なるため脳には還元できない
  • 現代のシミュレーション仮説の大元はラプラスの魔
  • 脳を正確にシミュレートしても意識はシミュレートされない
  • 生命をシミュレートすると意識のない死体がシミュレートされる
  • 生命をシミュレートした瞬間に物質の物理的運動もシミュレートできなくなる
  • 客観世界は存在せずブラックボックスな形で主観とつながっている
  • 科学ができないのは意識そのもののシミュレーションなので映画マトリックスは可能

こんかいは以上です。

コメント

  1. choco より:

    読みました。全てに質問すると長くなるので要点だけで。ほぼ不可能不可能とありますが シミュレートするだけでも6.036×10 71乗ギガビット(現在観測可能な領域のみ)の容量が必要(とあるサイト参照)で暗黒物質などを含めるとさらに増えるある事からして現在人類ではそのような宇宙そのものをシミュレートするような高度な技術はなく、サイトにも書いてある反論もほぼ全て現状の技術を基準としているもの。〜できませんと断言されていますが、ではなぜできないのかと言った明確な根拠、理由も書いていないため論破になりません

    • うたまる うたまる より:

      すみません。申し訳ないのですが、ちょっとなに言ってるのか意味不明です。

    • koko より:

      私はシミュレーション仮説を否定も肯定もするわけではなく、またchocoさんのご意見も確かに分からない部分もあるのですが、ただ、この論破の論拠としているクオリアや意識というものが数値化できないとする根拠が、うたまるさんがそう思っている、あるいは今のところ明らかになっていない、だけの可能性があって、chocoさんがおっしゃるように、その明確な根拠や理屈が抜けているので、少なくともシミュレーション仮説の方が論理的に思えますし、やはり論破できていないと思います。

  2. 名無し より:

    意識をシミュレートできないことを否定の根拠としていますが、そもそも意識というのがどのようなものなのか解明されていないので、明確な根拠にはなり得ません。
    唯物論や機械論の延長で考えるなら生物も機械と同じように電気的なシステムに過ぎず、であるなら機械も生物のように意識を持つ(持っている)可能性があることになるので、シミュレーション仮説は否定しきれません。
    加えて、脳の処理とコンピュータの処理に明確な違いが無いとすれば、脳は意識をシミュレートするコンピュータであるとも言えるで、意識のシミュレーションは可能であると考えることもできます。
    実際のところはわかりませんが、なんにせよ意識の正体が分からない内は大して意味の無い議論だと思います。

  3. うたまる より:

    感情や意識は全て体内の化学物質や電気信号による反応なので、「シュミレートできない(現代技術では)」というものになるので シミュレーション仮説を否定したことにはならないかと

    • うたまる うたまる より:

      電気信号、化学物質の運動と意識では存在論的な次元が異なり、両者を紐帯する因果関係を取り出すことが原理的にできないという理屈になっております。また意識は客体(空間)ではないのでシミュレーションでは表現できないということです。
      これは物の運動と意識が無関係だということを言っているのではないのです。また厳密には物と意識との先後関係は確定できません。

      これについて詳しくはマルクスガブリエルの新実在論、また理系出身者のテキストであれば解剖学者の養老孟司氏の構造と機能との差異の議論、日本の哲学者なら竹田青嗣の現象学理論が参考になります。僕の記事では、いわゆる現象学を知る者にとっての基礎的な解釈を一般の方むけに示しています。
      シミュレーション仮説に関する学問的な基礎認識を分かりやすく提示した記事であり僕がとっぴなことを言っているわけでもないのです。

  4. タカ より:

    私もシミュレーション仮説について否定も肯定もしない立場です。
    意識についてはっきりとしたメカニズムが解明されていない分野だと思いますが、
    現段階で意識の数値化や人工的に意識を生み出しシュミレーションできないからと言って
    シュミレーション仮説を否定した事にはならないと思います。
    脳科学やAI研究により意識について理解が深まり意識を人工的に生み出せれば
    シミュレーション仮説もマルチバース説と同様に否定出来る次元の話ではありません。
    kokoさんや名無しさんもおしゃっていますが論破は出来ていない内容かなと思いました。

    • うたまる うたまる より:

      だから現時点でできてないからできないなんて言ってないですよ。
      意識と物では位相が違うという論旨です。話にならないですよ。

      自分が人の話をまったく理解していないことを理解しましょう。勝手に誤読して的外れなこと言われても困ります。
      あなたのような誤読して意味不明な否定をしてくるコメントが多すぎて辟易しています。
      切りが無いので誤読して批判してくるコメントに関しては以後、スパムとして処理します。

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