名越康文の夢を夢分析してみた!【深層心理学】

神社のフリー画像

どうも!うたまるです。

アドラー派の精神科医で体癖論研究者のミュージシャン、ユーチューバー名越康文の夢を夢分析します。

名越氏は過去にYouTubeで自らの夢を公表し、その夢の分析を募りました。

名越「ぼくの夢~、誰かほんまに分析して!」
と動画で本人が言っています。というわけで分析。

ここではクラシカルなユング派の理論にたよって名越氏の夢を分析し、最後に精神分析でも分析します。

名越の夢分析の判断材料

名越康文の夢、夢の詳細は1分34秒~

名越氏にとって偉大な恩師(野田先生)が亡くなったときに見た初夢。

京都の長屋のなかに神社。神社には寝室があり、そのむこうに広間があり、みんながセッションしている。
背中を誰かに叩かれ振り向くと恩師だと分かり目覚める。

またこの夢について自身の高弟たちが分析してくれると期待するも誰もしてくれず、その不満を口にする。

その後、自身の夢の連想を語る。

神社があり神社に奉納する品があり、その奥に布団が敷いてあってその家のいい感じの女主人が泊まってくださいね、という。

本人による夢の内容と連想の概要は以上。この証言から名越氏の夢を分析。

さらに分析のための予備知識として名越氏は仏教徒であり、師弟関係(縦関係)によるつながりに憧れがあるようなので、この点も考察の材料とします。

恩師(野田先生)について動画で、天才的な精神科医と断言しており師弟関係の強さがうかがえます。

前提と注意点

夢分析にはいくつものスタイルがありラカン派、フロイト派、ユング派で異なり、ユング派でもフランツよりかギーゲリッヒよりかなどで夢分析の解釈法が違います。

また本来の夢分析は夢見手の連想ありき、一方的に分析するものではないです。
さらに、ぼくは夢分析の訓練を受けている訳ではありません。

なのでこの記事は名越氏のご要望にかこつけ、夢分析の面白さを宣伝するための一考察であり、分析を的中させることはまったく志向しておりません。

エンタメとして読んでもらえれば幸いです。

※今回はユングでも河合隼雄の物語分析を使った夢分析です

水底の三者と名越の夢

岩波書店『定本 昔話と日本人の心 河合隼雄』で展開される河合隼雄の水底の三者構造をベースに夢分析をします。

こんかいの夢分析はユングの拡充法を使い、拡充のリソースに河合俊雄の水底の三者構造という対日本人分析に特化したロジックを使用。

水底の三者とは

日本の民族学、物語研究の第一人者、柳田國男は日本人の永遠の母の邦(水底)には「白髪の翁」、「美女」、「醜い童」の三者が住むと言います。

河合隼雄はこの翁、女、童という三者によって日本人の心性は構造化されるという。

この三者を血縁関係にトレースすると、祖父ー母ー息子、のトライアドに。

ところで天皇は水底の三者構造を有します。
つまり外祖父ー国母ー天皇の伝統的な天皇家の権力構造は祖父ー母ー息子に一致します。

日本神話におけるアマテラス(日本神話の太陽の女神、天皇の母)は高木神(タカギノカミ、外祖父)とセットであり、高木神(外祖父)ーアマテラス(ニニギの母)ーニニギ(元祖天皇)が成り立ちます。

欧米と比較するとキリスト教は聖母マリアを欠いた父ー子ー聖霊の父権的な三位一体日本は母を中心とし父を欠いた祖父ー母ー息子のトライアドを基本とします。

ちなみに天皇が男系と言っても、国母の力が実際には支配的です。天皇は国母から教育を受けるわけで父の息子ではなく母の息子だからです。

竜宮童児とは

竜宮童児といわれる日本の昔話類型から三者構造の概要を紹介。

竜宮童児でも鬼滅の刃の元ネタの一つとなった昔話「火男の話」を参照します。

 火男の話
山に柴刈りにいく爺さん。爺さんは大穴を見つけその穴を埋めるため柴を穴に入れる。しかし穴は思いのほか深く三日分の柴を呑み込んでしまう。

穴から美女が出てきて、柴の礼をつげ穴のなかへ招待される。

穴のなかには目の覚めるような家があり家の横に投入した柴が束ねられていた。

美女に案内され爺さんが座敷にあがると、立派な白髪の翁、案内してくれた美女、臍をいじる童がいた。

しるしに童をもってけという。その童はヒヨトク(火男)という。

爺さんは童をもちかえると童の臍から金が出る。爺さんと異なり婆さんは強欲で金をもっと欲して臍を火箸でつく。童は死ぬ。


穴の中の無意識にいるのは、立派な白髪の翁ー美女ー童(火男)であり、祖父ー母ー息子の三者構造になっています。

この話では柴刈りをする爺さんは自我(夢見手)に相当。

竜宮童と名越の夢の共通点

無意識心的エナジー祖父案内する母息子
名越神社お供え物恩師野田女主高弟達
火男立派な翁美女火男
共通点

名越氏の発言と竜宮童児の梗概を比較すると驚くほど構造が似てることが分かります。

竜宮童児の意味とは

竜宮童児は天皇家の構造で確認したように日本人の心性を象徴します。

その特徴は、徒弟文化、イエ社会、につきます。

西洋との比較で言えば、欧米人はヨコのつながりが基本でタテの関係(師弟関係)は、希薄です。そのためにマルクス主義やフランス革命がおきます。

マルクスの労働階級闘争とは同じ労働階級の人がつながり上流階級の資本家を駆逐する物語であり、フランス革命も同じ第三身分の人が連帯し、特権階級をぶっ潰す革命でした。

日本ではこれはありえません。どこまでも母子関係を原点とし、その転移である師弟関係を重視します。
簡単に学校を例に示すと、父権の欧米では生徒同士がなかがよく生徒と先生のつながりが希薄で、日本では生徒同士はライバル関係でギスギスするも、先生と生徒の関係は深いということです。

※最近は日本でもヨコのライバル関係は弱くなったのですが、根っこは三者構造が強力です。

欧米の父権を父ー子ー聖霊の母不在のトライアドとすれば、父によって母子関係=タテの繋がり(徒弟関係)が切断され父によって統合された世界だといえます。

対する日本は、母子関係を切断する父不在のトライアドで、母が中心となり母子関係的に祖父と息子、師弟などを結合する文化です。

※厳密にはトライアドの祖父は過剰な母性原理の補償としての父性だと河合隼雄はいいます、ここではわかりやすさ優先の説明をしてます。

名越の夢の分析

以上から夢は弟子とのタテ関係を象徴していると解釈できるかもしれません。
つまり名越氏の自我が日本的な側面が強いことを示唆しているわけです。

恩師に肩を叩かれるとは、かつての恩師の場所につきたいという願望充足、ないしはその場所についたということを示すと見ることもできます。

クラシックなユングで見れば願望充足などと捉えず、相補性の可能性を念頭に補償夢(偏った意識を改善させる夢)として読み解こうとするかもしれません。

大事なのはこの夢を見たことで名越氏が、弟子に夢を語り分析して欲しいと言ったことです。

母性原理にありがちなタテ関係(徒弟関係)は子どもの主体性を殺し、親(師)を絶対化する側面があります。
日本人の出る杭を打ったり自己主張を許さない側面などはこの典型です。

したがって、夢はその不安を想起したのかもしれません。

というのも広間の弟子達は複数であり、個別性が語られないので、弟子達の未分化性を象徴しているとも解釈できるからです。

つまり、その未分化性が夢を語らせる不安(補償)となったという解釈。

師の夢を分析し師に語るには弟子は師から精神的に自律していなければ難しいのは確かです。

また精神分析をキリスト父権とすれば名越氏の師弟関係の強力さは仏教的母性原理といえるかもしれません。

ここまでの解釈は名越康文という個人に焦点していますがユング派は個人の夢を集合的なコンステレーション(布置)として見抜くのも特徴です。

したがって、ユング式でいくなら、現代日本における親子関係を軸とした繋がりの問題が名越氏個人の師弟関係に重なっている可能性も探ります。

YouTube動画としてこの夢を弟子を超えて世の中に公開したのも、そのためかもしれません。

細かい分析をすると家は一般的に内面を意味するのですが、寝室や広間などに分けられている点や夢の内容の語りの構成などから名越氏は神経症水準(ノーマル人)と見なせそうです。

また夢の中での移動が水平軸なのも注目すべき点かもしれません。一般に水平軸は日常性、社会性を、垂直軸は超越性を示すとユング派では解釈します。

もっともこうしたポイントは公式主義的であり現象学的に検討する必要があります。

第一夢に意味なんか無いといえばないのです。むしろ夢の機能は意味体系を破壊することにあります。安直な解釈主義は対象関係論や自我心理学などの反深層心理学的態度につながる危険性があります。

精神分析的夢分析

亡き恩師へ肩を叩かれ、恩師の座につくこと、および寝室(死)のイメージから、恩師(原父)を亡き者とし、恩師なりかわりたいというエディプスコンプレックスを取り出せるかもしれません。

つまり、多くの弟子達(兄弟)から自分だけが選ばれ、父となり、弟子(兄弟)を従え、呑み込みたいという外傷的で抑圧された願望が夢の中で露呈。

その夢の核となる外傷から逃れるために目覚め、慌てて弟子との適切な分離をしようと弟子に自身の夢分析を促した、という解釈です。

ジジェク風に言えば、夢を見続けるためにこそ目覚めたのだ、となるでしょう。

素朴にフロイトがこの夢を分析したら、この可能性を提示するかもしれません。

夢を見た後の行為(高弟に分析を促す)を考慮し、限られた情報だけから精神分析的に憶測を展開するとこんな感じです。

日本式ならエディプスコンプレックスよりアジャセコンプレックスで見るのも手かもしれませんが、なかなか難しいです。

エディプスコンプレックスで見る場合も、恩師の死が殺害としてでなく恩師からの承認(肩を叩かれる)である点は日本的かもしれません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました