【科学の限界】を理論的に特定!科学の絶対限界の思考実験

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身体的自己を精神的自己が一方的に所有する。

身体の所有は言語によって可能となる。

言語は普遍性をもち客観(三人称)に属する。

精神は身体をもつゆえ、言語の主体である。

言語とは身体的衝動への禁止の法である

言語の根拠たる言語の主体は言語の内には存在せず行間に住まう。

行間と言語との差異が存在論的差異たる個の主体である。

行間と言語との差異の抹消がナチス的全体主義である。

差異の抹消により、主観が個人的な主観としての限定を蒙らなくなることで主観は普遍化し客観たる他者と癒着する。

存在論的差異の末梢は主観の客観化によって、全てを物・客体に還元する。

合理主義の言葉(行間無き言葉)だけになると差異が消える。


というわけで現代人の意識・主体は全体主義的で存在論的差異(欲望)を欠いた危険な状態にある。

脳科学信仰だとかの誤認は笑い事でなく、人間主体の構造的なカテゴリーに依拠するもので、この問題は高度に政治的、哲学的、心理学的な問題でもあるのだ。

すでに現代人には罪悪感が消失しているという臨床研究も多くあり、道徳やモラルといったものが構造のレベルで不可能になりつつある。

また統計合理主義的な言語がもつ壊れた欲望の構造が人間の主体を解体することはラカン派がつとに指摘していることでもある。

いずれにせよ【差異】を取り戻すための自己否定を回復することが今後の人類の課題となるだろう。



というわけで存在論的差異を取り戻し、象徴性を回復し、幻想を構成し、言語を止揚し、そのことで人間の尊厳を取り戻さなければならないと思う。

この記事は主体たる差異の回復のためにある。僕たちは主体と客体との差異を取り戻さねばならない。シミュレーション仮説も科学万能論も現代人の悪夢に過ぎない。それは目覚めることを拒絶する夢だといってもいい。

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