どうも!うたまるです。
須田剛一といえば世界の小島秀夫にも劣らぬ作家性の強さで知られる世界的ゲームクリエイター。
結論からいうと本作は非常に深いメッセージが仕込まれており、ゲーム史に残る名作です。
こんかいは須田ゲーファンとして「TRAVIS STRIKES AGAIN NO MORE HEROES Complete Edition」をレビュー、考察、徹底解説!
最後の項目では難解な本作のストーリーの意味をきっちり分析解説してゆきます。
※レビューはコンプリートエディションなのでDLCこみ。筆者は全クリ、ラーメン屋とスキルチップをコンプリート済み
TRAVIS STRIKES AGAINとは
NO MORE HEROESのスピンオフ作品。
アクションRPG。
『デスドライブmkⅡ』というフルダイブ型VR的なノリのゲーム機でゲームをプレイしシナリオが進めてゆく。
ゲームをクリアするごとにレトロなビジュアルノベルを進めることでシナリオが進み、デスボール(ゲームソフト)を入手しデスドライブで新たなゲーム世界を攻略してゆく。
六つのボールを手に入れるため、六つのゲームソフトをプレイすることに。さらにDLCやコンプリードエディションでは二つのゲームソフト(デスボール)が追加される。
本作では主人公トラヴィスの他にバッドガールの父、バッドマンをプレイできる。さらにDLCやコンプリートエディションではシノブやバッドガールも本編クリア後にプレイアブルキャラとなる。
魅力と特徴
ゲーム性
本作では雑魚的が大量に発生し一撃でなぎ払えるので最初は無双系かと感じるが、難易度はそこそこで、無計画な戦闘は死につながる。
また本作における6つのゲームは操作システムは共通しているがゲーム世界ごとに多様なゲーム性をもつ。
たとえばレースゲーム、鳥瞰的な始点のパズルゲームと非常に多彩で、プレイヤーを飽きさせない工夫が凝らされている。
また各ゲームにはスキルチップが隠され、スキルチップによって特殊攻撃を行うことができる。スキルチップはまとめて四つまで装備可能でその組み合わせが多様な戦略を可能にしゲーム性を高めている。
ただしノーモアシリーズ恒例のプロレス技はボスへのトドメ演出のみで通常技としては使用できず。
シナリオ
本作のシナリオも須田ゲーの魅力のシュールさが満載、須田ゲー的世界観が好きな人にはたまらない仕上がりだ。
ドラゴンボールネタやゼルダネタなど非常にパロディが多いのも特徴である。
とくにキャラクターがゲーム世界に登場するシーンがターミネーター2のパロディになっているのは印象深い。
多彩な要素
DD2のゲーム世界にはラーメン屋があり、トラヴィスがラーメンを食べるとラーメンブログに記事が投稿されそれを読むことができる。
最近の食べログなどをまとめただけのブログ記事と違い昔ながらのトラヴィス節のきいた味のあるブログが独特の世界観を際立たせている。
他にもペットの猫、ジーンからメッセージが入りデスドライブの世界でジーンを探すなど探索要素が多く周回プレイも楽しめる。
ラーメン屋、ジーン、スキルチップ、隠しキャラなど探索要素が多く詰まっているのも本作の特徴だろう。
このことから本作には、限られたバジェットでもしっかり遊べるゲームにするための工夫が随所にちりばめられているのが分かる。
総評
須田ゲー好きであれば、オススメ待ったなしの傑作。
しかし好みが分かれるゲームであり、ラスアスのような海外のトリプルAタイトルを好むプレイヤーにはボリューム不足と感じられるかもしれない。
この手のインディーズ感のあるゲームが好きかどうかが本作の評価の一つの分かれ目といえるだろう。
というわけで【99点】
普通に傑作です。面白いうえに応援したくなるゲーム。拝金主義の魂のないゲームとは根本的に違います。
いくらなんでも99点は高得点過ぎる!と思う人もいるかもしれませんから、次の項目でその理由を徹底的に解説します。
こんなに考察が楽しいゲームはめったにありません。
ネタバレ評論考察
本作の最大の特徴はメタフィクション性にある。
主人公トラヴィスはオタクのゲーマー、そのトラヴィスがDD2(デスドライブMK2)というゲームをプレイする姿はプレイヤーが本作をプレイする構図にそのまま対応する。
その意味で本作におけるトラヴィスはプレイヤーの分身。
さらに本作は敵も自分がゲームのキャラであることを自覚し、メタ発言をするシーンが非常に多い。
また本作のプレーで誰もが着目するのがアンリアルエンジンの過剰な宣伝。
ゲーム開始からアンリアルアピールが続き、主人公のTシャツにまでアンリアルエンジンのロゴがついている。極めてメタ的な演出といえる。
このゲームがアンリアルエンジンで作られていることが作中でメタ発言としてひたすらアピールされつづけ、それが独特のシュールさを生み出している。
さらに本作ダウンロードコンテンツのボスはジュブナイル(シープマン)というDD2とそのゲームソフトを作ったゲームクリエイター。
また本作では火星がゲームクリエイターの理想郷として描かれ、ボスのジュブナイルを倒すとトラヴィスは火星に転送されジョンウィンターという男とであう。
ジョンウィンターはDD1の制作者でありジュブナイルの師。映画マトリックスでいうところのアーキテクチャのような存在。
ジュブナイルは火星を理想教とし、バーチャルな超越的存在となり火星に住み、トラヴィスに火星で暮らすことを提案。
トラヴィスは火星は理想だと認めるも罪にまみれた現実への帰還を選択、その選択をうけジョンは火星は禁足地、来てはいけない場所だといいトラヴィスの首をきることで彼を現実へ返す。
つまるところDLCの展開をまとめれば、現実のゲームクリエイターのジュブナイルとプレイヤーの分身で、DD2をプレイするトラヴィスが戦う。そして火星(禁断の理想)においてプレイヤー(トラヴィス)と神的クリエイター(ジョン)は邂逅し一つになりかけるがプレイヤートラヴィスは火星から離れる決断をする。
ここでは明確に理想(火星、夢、ゲーム)が断念され理想がジョンによって禁止されるのである。これはあまりに精神分析的展開といわねばらない。
このような構図は一つには、ゲーム制作における大衆の欲望とクリエイターの欲望との葛藤を象徴していると読むことができる。
またトラヴィスの現実を選び火星から出て行く決断は、ゲーム(夢)世界からの離脱とも解釈できる。であれば、火星のエンディングは夢(ゲーム)と現実とのあるべき関係を示している。
このゲームは現実と異なる!という本作のメッセージはゲームが夢のようなものであることを告げているのだろう。
とすれば本作のボス達が羊(sheep)なのは、夢における睡眠のsleepにかかっているに違いない。
本作ではゲームと現実とのもっとも本質的なあり方が見事に表現されているのだ。
しかし本作はクリエイターとプレイヤー、現実とゲーム(夢、理想)という二者の関係を超えた第三項についても言及しているのではないか。
その第三項がアンリアルエンジンなのではないか。
アンリアルエンジンというツールが本作で圧倒的存在感を放ち、アンリアルエンジンで作られたことが作中でしつこく強調されることをこれまでに確認してきたわけだが。
かくも強調されるアンリアルエンジンとは一体何なのか。その答えを本作の設定や描写を頼りに探っていこうではないか。
ところでアンリアルエンジンは誰もがつかうことができる、現在のゲームソフト制作の主流なゲームエンジンである。あの美麗グラフィックが売りのFF7Rもアンリアルエンジンで作られているほど。
アンリアルエンジンは現代の映像技術革新の象徴であり、実写に肉薄する映像美を実現し現代のゲームシーンを牽引するエンジンである。
つまりアンリアルエンジンの運動はグラフィックの向上を目指し、現実とゲームの境界を無くしたいという大衆の欲望。その欲望の本体は現実とゲームの融合にあるのだ。
アンリアルエンジンをこのように理解するとき、本作のメタ演出の意味は自ずと見えてくる。
まず注目して欲しいのがこの画像
勘のいい映画好きならもう分かっていただけたと思うが、この緑のアンリアルエンジンのロゴはマトリックスのワーナーブラザースのロゴのパロディである。
映画マトリックスでは配給のワーナーのロゴを緑色にしてワーナーをマトリックス世界のシステムのボスに見立てたメタ演出がされているのは周知のことだが、そのオマージュになっている。
というのも本作の作中におけるトラヴィスの現実での活躍(ストーリー)はビジュアルノベルで展開し、その画面は緑色。緑のドット絵はマトリックスの緑の行列を彷彿する。
以上よりアンリアルエンジンはトラヴィス(プレイヤー)の現実を支配、侵食しつつあることを示すと考えられる。
さらにこちらの画像を確認していただきたい
この画像はDD2のゲームソフト(デスボール)の中の世界だが、DD2の世界がアンリアルエンジンで作られていることが述べられる。
つまりアンリアルエンジンで作られたゲームのなかのゲーム(DD2)もまたアンリアルエンジンであり、ゲームのなかでの現実とゲーム(DD2)の境界がアンリアルエンジンによって消え失せている。
また本作はオフラインでのみ二人プレイが可能だが、DD2がオフライン二人プレーのゲームであり、トラヴィスとバッドマンがDD2をプレイするというゲーム内の設定がゲーム外のプレイヤーに適応されているのが分かる。
本作はとことんゲームの内と外が混ざったメタゲームなのだ。
したがって本作では、アンリアルエンジンがゲーム世界を拡張し現実とゲーム、彼我の境界を消し去る脅威として描かれていると分かる。
とすれば本作でのジュブナイルとCAIとの関係も合点がいく。
ジュブナイルは火星移住のためにゲーム機DD2を開発するもCIAがDD2の殺人兵器化を企む。それに気づきジュブナイルはCAIと敵対
CAIはプレイヤーをゲーム漬けにしゲーム(夢)と現実の融合を目論む市場原理、ジュブナイルはクリエイターの魂(理念)を象徴しているのだろう。
とすればトラヴィスがゲーム世界の中に入り、さらにゲームの中がゲームの外を呑み込むような数々のメタ演出もゲームと現実の融合という現代社会批評として解釈できる。
このように解釈してはじめて、本作のエンディングでの火星のシーンの意味が際立つ。
つまり火星(理想)とは夢と現実の区別もクリエイターとプレイヤーの葛藤もないインタラクティブの彼岸にある融合した世界であり、アンリアルエンジンは火星(理想)を現実化しようとする資本主義とテクノロジーの欲望なのである。
本作は、VRの発展に典型される技術革新(アンリアルエンジン)がもたらしたゲーム(理想、夢)と現実の境界喪失を捉えた上で、本来のゲームと現実のあり方を示している。
たしかにジュブナイル(クリエイター)は理想(火星、融合世界)をめざし、理想のために作品を作った、しかし理想は理想であって現実であってはならない。
クリエイターの理想はつかのまの夢、ほんのいっときとしてのみ実現するのであって、プレイヤーには帰るべき現実がある。永遠にゲームに没入することはできない。
本作はそのことを教えてくれているのだ。
余談だが、昨今はシミュレーション仮説が流行っている。とくにイーロンマスクなどの資本家や意識高い系がシミュレーション仮説を積極的に支持している。
シミュレーション仮説とは現実がゲームに過ぎないという仮説であり、この仮説そのものが現代のゲームシーンにおける現実とゲームとの融合、理想の現実化を反映しているのではなかろうか。
現代人はシミュレーション仮説の夢を見る。シミュレーション仮説、したがってゲームの理想とはつまるところ覚めない夢であり、目覚めることへの拒絶に過ぎないことを本作は教えてくれる。
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